iphoneヽ(´∀`)ノ

携帯数年ぶりに変えました。電話とメールくらいしか使ってなかったんだけど、これからは肉体の一部として重宝しようかな、とおもえるくらいのモノにしあがっていました。しかし初めは操作性に慣れなくて右往左往しているけどしだいに肉体になじんでくる。やっぱりアップルはこの感覚だよねぇ、、と使ってみてかんじるものがありました。無機質なコンピュータなんだけど、生物的なセクシャリティを触れてるとかんじるような、、そんなかんじです。ディスプレイに直接タッチして指示をだすところなんか近未来的(『マイノリティ・リポート』のトム・クルーズが操作していたホログラムをつかった手の動作で指示するコンピュータなど)だなぁ、と感心してしまいました。GPS搭載で、オプションによって相手の具体的な位置を24時間監視できるサービスも面白いし、マクドナルドや駅構内で無線LANに接続できるサービスも面白い。最終的には『攻殻機動隊』みたいに機械と肉体が分離できない状況になってしまうのではないかと勝手な妄想がふくらんできて愉しいです。合理化されるってことは見ていて気持ちのいいものだし、みんなもなんだかんだで幸せそうだから、こういう機能が徹底されてしまえば悩みや苦しみもなくなるのだろうとおもう。人が社会で合理的に機能することをやめてしまえば、それにたいする受け皿も用意してあるわけだし(福祉や健全な宗教は必要になってくる。経済的な「格差」は他の代替物によって解消される)。生物学的にいったら人類の目的は種の保存らしいけど、(家畜化されてイノシシから食用に適したブタを人工的につくりあげたように)新しい環境に慣れていけばそれに適応するために肉体改造が必要になってくる。『攻殻機動隊』の機械と接続することによって生じる肉体的な痛みはそれがうまく表現できていたとおもう。不適合な環境を受け入れて、適応する(変化には痛みが伴う)。使用法と判断を誤らないかぎり、賢いひとにとっては生きやすい時代なのかもしれない。モノにはきまったひとつの使用法はなくていろんな使い方があるんだなー、とかんがえると面白い。そしてそれを組み合わせることで化学反応を起こすこともできる。モノだけではなくて、ヒトや集団にもいえるし、あるシチュエーションにたいする対応にもいえる。CNNのニュース(TV)が面白いのは、戦争(イスラエルハマス原理主義)のライブ映像を流しながらキャスターは中立的な位置をとりながら、両者の意見を視聴者に伝えて(なるべく公平に)、さてどちらが悪いのか正しいのかといったことを議論するのではなくて、「どうすればこの問題を解決できるのだろうか?」ということを現時点の情報を総合・収集しながらリアルにかんがえていくからだとおもう。こういう思考って英米系の思想の流れからきているんだけど、この思考訓練は重要だな、、とおもわされているさいきんです。
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