小説『ロビンソン・クルーソー』

ダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソーとその後の冒険』(1719)を読む。無人島で生活する前編『ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険』の続編にあたるけど、物語の面白さ(生死のかかった制限された空間からのエクソダス)は前編にあるかもしれないけど、仲間とのチームプレーによって交渉を自分の利益にかなうようにすすめていく語り手の賢さがうまく表現されていて読んでいて有益にかんじるのは後編のほうかもしれない。後編におけるロビンソンは旅もするし金儲けもするし思索もかかさない、ビジネスマンのモデルのようなキャラクターになっている。交渉のプロとして人間関係を間接的に操作していって目的を遂げるプロセスは見事としかいいようがうない。資本主義を分析した古典『プロ倫』の社会学者は、ロビンソン・クルーソーを宗教と労働が密接に関係していた時代の典型的なキャラとしているが、それも頷ける程度にロビンソンの功利的な思考は徹底しているというわけだ。厳格な規律を要請する宗教(プロテスタント)を倫理的な機能面において経済活動と直截的に合致していたのがこの時代特有の空気らしいのだが、宗教がその機能を失効した現代においては資本主義経済の形式も変化せざるをえない、ということらしい。前編に登場した無人島が人間関係の実験舞台になっていて、なんで法律や宗教、他者とのルールや共同体が遵守すべき幻想が島を統治するためには必要なのかが説かれているわけであるが、ルールが制定される以前の暴力的な無秩序な状況は現代でも自然災害などで荒廃した街では略奪・強盗・強姦・殺人が多発するところからみて効力をうしなった考察というわけにもいかないだろう。その他、虐殺に関する考察もしていて非常に興味深く面白い筆致で書かれてある。流血沙汰の描写なども綿密で他者がこうおもっているから(予測)、語り手はこう動いてその関係で他のキャラも動いてくる、結果こうなるというプロセスが読んでいて面白いのだけど、そんな状況ではない場面でも「どうすれば自分に危害をあたえられずに有益なことができるのか」ということを冗長に分析するので、結局なにもできずに信頼していた奴隷を無惨にも殺されてしまうところなど、有能そうにみえてじつは無力なところもあったりとww、しかしなぜ語り手はある手段をとらなかったのかということが延々と説明されており、そこが行き過ぎると退屈にかんじる読者も多いだろうけど個人的には面白かった。現代の日本人が読むと「一石二鳥」を金科玉条としているようなロビンソンの思考と行動には理解に苦しむところもあるとおもわれるが、本人は他者との関係において自己流のフェアな意識と正義感をもっている(その正義感がつよくですぎると無責任な行動や本人より下とおもわれる人種を徹底的に軽蔑したり、価値観の異なる偶像崇拝をしている少数民族の偶像を夜襲をかけて焼き払うという傍からみると暴力行為以外なにものでもない行動を特異な分析で正当化することにもなってくる)。現代に生きるビジネスマン必携の書といえると同時にグローバリゼーションのなかでも価値観の差異が深刻な状況になってきた国際情勢においても読者の周囲に関係する身近な日常生活においてたちあわらわれる問題解決法においても効力を発揮する思考であることには疑いをいれない。