思想『ソクラテスの弁明/クリトン』

プラトンの『ソクラテスの弁明/クリトン』(紀元前)読む。ようするにこの本を読むことによって何が得られるのかが問題だが、言葉に取り憑かれたソクラテスの自己思弁を読者に強いること、つまり教育的な観点からプラトンは書いているとおもう。思考は自由だが、そのためリスクもおおきい。ソクラテスは民主主義(つまり多数がかならず正しい制度)のルールと宗教(倫理。いまではテクノロジーが代替しているといっていい。欲望のままに行動する動物的な人間をコントロールするための装置)を遵守して、常識ハズレな告訴と刑(死刑)にもかかわらずそれを受けることを是とするお話。弟子のプラトンほど想像力に恵まれていないからか、ソクラテスの信頼する武器は徹底的に論理、いわゆる言葉を使用した思弁をいやになるほどくりかえして、読者にもそういうことをかんがえてもらいたいと願っているようにおもわれる。裁判所の発言記録である『ソクラテスの弁明』は、自己弁護するどころか詭弁を弄しているととらえかねられないほどの饒舌なスタイルや論法を駆使して裁判官、告発者、聴衆を苛立たせている。ではなぜソクラテスは執拗に反抗的でフザケているといってもよい自分にとってマイナスな態度を敢えてとるのかというと己の「正義」を曲げたくはないからだと言い張るのである。つまり戦略的に選択された策であるらしいのだ。その「正義」とはなにかというと、己の死をもって社会体制(民主国家)の根本的な矛盾を晒すというところにあるらしい。親友との対話『クリトン』を読むと、ルールに縛られて殺されることに被虐的な快楽すら感じているのではないかとおもわれるほどにソクラテスの態度は冷静で、饒舌がすぎるとひとを嗤わそうとしているのではないかと疑われるほどにそのあくまで言葉を信頼している、論理に縛られている状況から死による自由がえられることによる楽観的な思想をのべたてるのである(ここまで死を楽観視できる原因は宗教にもよるらしいのだが、死後が無であっても思弁が導きだした当然の帰結であるというわけだから苦しくはないということらいし)。そこまで言葉で割り切られちゃうと、読者や弟子としても立つ瀬がないため、プラトン形而上学的な事柄に興味があったのはこのあたりが関係しているのかもしれないとおもった。ようするに社会体制(民主国家)の矛盾はなにかというと、民主主義は全国民の意志が反映されているようにタテマエとしてあってもほんとは多数者の利益と意志によって国家の意志が作用され、マイノリティーはつねに隅に追いやられるか理不尽な状況に追い込まれるということで、どうにかしてその矛盾をなくしてくださいよっていうのが後世に託したソクラテスの犠牲パフォーマンスであったようにおもう。しかし、言葉では解決できないためソクラテスはそれ以上、矛盾を追求することなしにアイロニカルな微笑をふくんだまま任務を終え、無言で逝ってしまうわけである。