ドラマ『赤い糸』

ドラマ『赤い糸』のキャラ間の距離感がいい。南沢奈央はカメラから中程度の距離感から思案にくれている(神経質な)顔がいいし、溝端淳平のセリフをいう間にとる計算された間のとりかたが男らしさを感じさせるのかなともおもいました。男前キャラはキムタクみたいにボソボソしゃべらないまでも言葉をしゃべらなくても伝わる雰囲気があるんだけど(「男らしさ」とは言葉よりも行動でみられるものらしい)、間を利用してそういうことができる俳優ってそういないんじゃないかなと。そうしないとカッコイイ台詞もそう聞こえないってのもあるからかもしれないけど。原作もドラマもキャラクターの間にある距離感が重要で、それがひろがったり縮んだり、とつぜん切れたりしても他人との関係はつながっているんだよ、ていうことを言いたいのかなとおもいました。海外ドラマでも『LOST』とかはチームで協力して島の謎の解明に迫るとか島から脱出するとかよりも、島の情景のキレイさだとか、キャラクターの内部にはいっていって共感をもたらすとか、まったりした部分に焦点がいっている気がしたなぁ。『24』と『プリズン・ブレイク』だと人間不信にならざるをえないほどシナリオの練られた部分とかが面白いんだけど。それから『LOST』をみてみると非効率的なことをやっていることに納得がいかないし、他人を信頼しすぎて微笑ましい状況になってきているww、まあそれはそれでいいドラマだとおもうけどヒマがないかぎり続きをあまりみたくはならない。やっぱり個人的には『プリズン・ブレイク』の常軌を逸したキャラクター同士がぶつかり合うのが面白いかな。囚人をキャラにしたら他人を殺すこともできるので、シナリオの選択肢がひろがるところがいい。しかも突き動かされる欲望が金とかセックスなのでこれも純粋に人間を表現していていいなwと。『24』だと国家的規模の大義を賭けた闘争みたいになってますけど、ジャック・バウアーにはもっと負荷をあたえなくては(シーズン1で妊娠中の妻が殺害されたり本人が拷問されたりもするが)敵対者とフェアではないなとおもうので(そもそもテロ戦はフェアではないが、それを理由にジャック・バウアーに超人的な体力と有利に行動できる情報をあたえすぎているのではないか。たとえテロリストが卑劣な手段に訴えようともそれを撲滅するパワーは現在ガザ地区で戦争中のイスラエルハマス原理主義の軍事力以上に差があるのが現実というわけだし、バウアーもテロリスト以上に卑劣な手段を国家権力を利用して使用することになる。テロリズムの特権は先制攻撃と逃亡の選択肢しかない)、もっと救いようのない状況まで追い込まれてほしいとおもう。『赤い糸』とか中高生ものだと舞台が学園生活のなかに閉鎖されているから、シナリオにリアリティを付加しようとすると恋愛を基軸にしてドラッグや暴力を外部からもちこんでくることになるんだけど、こういう状況下のドラマは日本ではよくあるので自由度が低いかわりにクオリティは高いことになっている。溝端淳平の母親のドラッグ中毒も健全な視点から(そういうひとがいることへの周囲の理解をうながす)表現されているし、ドラマっていうのは人間の理性的な部分だけを表現するのではなくて、欲望や感情もぜんぶ詰め込んだほうが共感しやすいし、真実をつたえているとおもうので、こういう良質なドラマがもっと増えてくれたらいいとおもいました。

赤い糸 上

赤い糸 上