小説『巨匠とマルガリータ』

ミハイール・アファナーシエヴィチ・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』(1940)読む。スターリン政権時の小説。遺稿として国が管理(内容が社会主義体制批判なため出版禁止処分)していたものを、70年代に出版。ペレストロイカ後に研究が進み、ロシア語圏内だけで発行部数1500万部。当時、出版していたらどれくらい売れてたのだろう、ていうか社会主義体制だから収入も著者にたいしてはいってこないのだろうが、そのへんはよく知らない。。小説を読んでいてわかるのは、魔術師(と部下)がキャラクターたちを操作して、目的(作家とマルガリータの恋の成就と社会分析)を遂行するために邪魔なキャラは精神病院に強制送致させる超能力(予言・読心術・空間操作・記録書き換え=文書偽造・物質の変移=催眠術)を持っている職業悪魔。勿論、スターリン(悪魔)と官僚組織(部下)の置き換えになっている。操作されるキャラクターは劇場関係者、出版関係者、芸術家など、当時の主要な表現者集団であり、真実を知ろうとすると瞬殺されたり国家権力の自動発動により強制収監されるシステムになっている。理解しづらいのは、作家(主人公と称される)の書く新約聖書のリメイクが所々に挟まれていてそれがキリストを処刑したピラトの懺悔のようになっているところと、閉塞的な世界観に呪詛をぶちまけて精神病院で静かに空想しながら死んでいく作家とマルガリータの恋がどういう機能をしているのか。タイトルからするとこの線の話が中心だということらしいが、物語全体にたいする影響力からいってそうとは言えない。むしろサイドストーリー的なサービスにしかなっていない気がする。それに体制に絶望した作家が宗教に救いを求めて恋人とともに安らかに昇天するファンタジーを書くとか、「自由」を切実に希求する作家の倫理として問題があるのではないか、と宗教とは無縁な東洋人からすればおもえてしまうのだ。日本でも戦時中と占領期間には国家とGHQによる「検閲」(新聞・ラジオ・出版)があったわけであるが、戦後しばらくしてマスメディアが発達し、テレビが全世帯に普及してインターネットが身近なものになると、「検閲」の代替作用である法による「規制」がネット社会のなかでも次第に蝕んでくるようになってきた。。ということで、意外と社会主義体制下に書かれた本作は現代社会にも通用するものがあるのかもしれない。

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)